目の前にお金があったら、それは試されている!


人間とは生まれながらに善くして生まれたのか「性善説」、悪くして生まれたのか「性悪説」と色々な意見がある。私は「性悪説」を唱える。
赤ちゃんがオギャーと生まれて、とても愛くるしいものだが、実は可愛い顔をした小悪魔として生まれる。 しかし母親や家族の愛情の元で育ち、悪いことをしたら怒られ、善いことをしたら誉められて善悪を覚えながら成長していく。 そして幼稚園に行く頃には団体生活の中で社会の秩序や人の心の優しさを自然と身に付けていくものだと思っています。(だから孫が悪いことをしたら、人の前でも本気で怒り付けます。)

世間一般に言う「魔がさす」ということは「性悪説」から見ると人間本来の本質に触れた行為か。

いつも行くスタンドで給油がてら洗車を依頼した。会社の伝票に付けられるといやなので(請求書は全員がチェックするので)スタンドの兄ちゃんに500円渡して「車、洗っといてくれ」と言って…。
カウンター越しに洗車機の方を見ると、その兄ちゃんは、500円をポケットに入れて洗車機の蓋を開けてスイッチを入れて車を流していた。「おい…おい…!それは会社の金だろ…!」とは言わなかった。 よその会社の事だし、こんなものなのか!

企業において従業員の金銭的な不祥事はよく耳にします。また、私もあらゆる業種を経験している事から、過去にはいやと言うほど見てきました。
レジが合わない・使い込みをした・取引先よりリベートを受け取った・バックマージンを要求・数字の改竄・不当な値引き等など様々、やはり一番多いのが一般的に言う横領です。

仕事の流れで動く「お金」は全て会社のお金です。
500円玉なら良くて1万以上はダメとかでは無く、1円たりともポケットにすると、それは横領で犯罪になります。 本人の資質が問われ信用を失い大きな問題に発展します。

金銭的にルーズで不祥事を起こした者へは、経営者として、即刻ジャッジを下す。「解雇です。」
なんぼ仕事が出来て能力が有って、「二度としません。」と言われても、これは経営者の鉄則です。
そういう者は、一度許しても、二度三度同じ事を繰り返します。
更に残念な事に数字的なものは、表に出る数字の3倍有ると言われています。

魔が差す事やギャンブル好きといった当人の資質の問題は大いにありますが、悪気の無いちょっとしたミスの始まりや、社内的管理の甘さなど様々な要因が有ります。
私も、たま~に、ポケットに手を入れたときにポケットに何故お金が入っているのだろうと考える時があります。「ああ~そうだ!○○さんから集金したんだ。」と思い出します。 しかしこれが、2・3日後に気が付くと、「まっ…いいか」に変わってしまい罪の意識も薄れています。
この様な、些細な切欠から大穴に羽間っていく事が大いにあります。

昔、有る社長さんがこんな事を言っていました。
「経理の女の子を辞めさすのは簡単だ、使い込みさせればよい。」
この言葉は、今でも焼き付いています。ハッキリ言ってけして尊敬できる経営者では有りません。
今、聞いたら、徹底的に反論しています。「経営者の片隅にも置けません」。しかし、色々な不祥事を耳にすると、いつもこの言葉が思い出されます。

前述で話した通り、人間は「性悪説」だと思っています。
私も過去には人に言えないような事もありました。これはどんな人間でもあると思います。

もし、誰も居ないときテーブルの下に一万円札が落ちていたら、ラッキーと思ってポケットに入れるはずです。 目の前に札束が有ったら、誰もがグラグラと来るはずです。それは人間の本心だからです。
だから我々小さな会社の経営者は、従業員を信用しているが、数字や金銭の管理は、厳しくしないとダメだ。それでないと、良い人間も悪くしてしまうからである。
社長は経営者であって教育者です。良い人間を悪くしてしまうことが一番辛いことです。

もし、目の前にお金が有ったら、「それは試されている。」と思え!
更に、卑劣な奴が、「自分を陥(おとしい)れようとしている。」と思え!