国民の三大義務といえば、
『教育の義務』『勤労の義務』『納税の義務』
“教育”と“勤労”だけは「義務」と合わせて「権利」が有るが、“納税”には権利は無く義務だけだ。
ここで、国民の三大義務を論ずる気はさらさら無いが…
どれもこれも「義務」だと思っていてはダメだということ、
特に…
仕事だけは違う!
私も それほど他律的な命令に基づいて仕事をやれと言っている訳でもないし、別に足枷を括り付けているわけでもない。
いつでも労働者の権利が主張できるはずだ!
そして…
「仕事を義務としてやっているうちは、成長もないし、良い仕事は出来ない。」
義務には“overaction”が無いからだ
教育と勤労に権利があって、納税に権利が無いのは誰だって、overに払いたくないことなのか(それにしても納税の義務は良いが、チャンと良い方向に使って頂きたい。)
話は戻るが…この“overaction”が成長に繋がるのだ
勉強にして、人より遣っている奴には叶わない
仕事にしても義務の範囲で仕事を切り上げてしまうからだ。そして、義務として仕事をしているうちは、仕事の本当の楽しみを味わうことはない。
仕事をしているうちに、主体的な仕事に代わっていくようになる。仕事を誰に言われるまでもなくやっていくようになる。
そうなってくると、仕事が楽しみに変わって、やればやるほど、楽しくなっていく。こうなったら、人生は楽しいものになるはずだ。
義務の範囲を超えて、自分が満足する水準まで、仕事を高めていこう。
そうすれば、仕事はどんどん義務から遠ざかっていくはずだ。苦労の後に楽しい人生が待っているのだ。
晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。
楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところ(大変な状況)に楽しむ。
どんな時でも楽しみを見出し、その状況を愛する。どんな小さなことでも、自分の人生の縮図のように楽しみを見出して、満足をしていくようにしよう。
今期もあと少し…
大変な状況も沢山残っている、
でも、雨の日があるから、晴れの日を清々しく感じれるはず、
その清々しい感じが成長なのだ。