合コンのコンは結婚のコンだと思っていたら、
社員に注意された、コンパのコンだと…(恥ずかしい)
「ゼス婚」ではなく「ゼス魂」に訂正
それこそ先週の婚礼の席で、色々な懐かしい人達とお会いした。
その中でも、かれこれ40年以上も前に、私の家(親の自宅)に住み込みで働いていた人だった。
「○○ですけど覚えていますか?」 …? …!
えエ~覚えています。…!
その方は私の手を取り,ただ懐かしげに
「~いやぁ~ えァ~ いやぁ~」と会話ではなく奇声に浮かぶ走馬燈であった。
私の幼少の頃は、親が商売をしていた関係、住み込みで働いていた人がいっぱいいた。多いときで6人位居ただろうか、昔の事だから多分その人達も中学校卒業と同時くらいに、来る人が多く、それこそ兄弟同然に暮らしたものだ。
一緒にご飯を食べて、一緒のテレビを見て、一緒に風呂に入る。
今の核家族からすると考えられない、大所帯で家族全部合わせると15人前後の生活だった気がする。
本当に「懐かしい」そして今考えると、あの頃は、団欒では無くゴッタ煮の生活だったがメチャメチャ愉しかった。
京都の清水寺で毎年行われる…世相による今年の漢字は「絆」である。
そして、今年は「絆」需要で、おせちやクリスマスケーキの予約がいつもより多いそうだ。
家計の緋が厳しいこともあるが、何と言っても「家ご飯」や「家飲み」とファミリー団らん出来る家族回帰につきる。
絆には2つの意味(イメージ)があり、
①馬、犬、鷹などの動物をつなぎ止める網でイメージ的には自由の拘束、束縛のイメージ。
②断つことのできない人と人との結びつきで家族、愛、縁というイメージ。
当然、今年の漢字は②に当たり誰もがそのイメージでとらえています。
断言は出来ないが、幼少の頃の「絆」のイメージは①だと思う。人と人、家族と他人でも一つの家で暮らして居ると家族同然の結びつきは有って当たり前のことだったからだ。
小さいときの記憶は、何でこんなに鮮明に覚えているのだろう。数日間その記憶の余韻に慕っていた。