例え自分の親が亡くなっても、あれほど悲しみを露わにする人は誰も居ない。北朝鮮の将軍様死去に伴う市民の反応らしいが、オーバーアクションもいいとこ あれじゃ~悲しんでいるんだか、楽しんでいるのか分からない。
巷では、北朝鮮の小学校で、誰が一番哀しむリアクションが上手いかのコンテストがあったと言う。
こんなのを見ていると、この国の未来が知れるモノだ。
中東での民主化から見ると、国民も生かさず殺さずで、その反感するエネルギーすら与えられない。それでいて独裁者ならまだしも、「裸の王様」といった感じだ。
誰も「あなたは裸です」と言ってくれる人が居ない。言う人が居ない隔離された小さな世界の常識が世の常識と勘違いしてしまう、いいなれば親の世襲で大変気の毒な人に思える。
国を守るのか、地位を守るのか、自分を守るのかでその考えは大きく違う。会社の中でも自分達の判断が会社の為なのか、自分の地位の為なのか、またまた、自分だけの為なのかで、全然考え方が変わってくる。
先般 喧嘩では無いが、A取引先の部長さんと考え方の相違で、言い合ったと言うか、議論と言うか、ま~ぁ~最後は私が従うと言うか…
A社さんは、弊社の10倍以上の年商で業界では名のしれた企業さんで、部長さんに「~したらやめるわ…。」と簡単言われたら、弊社も困ってしまう
だから、最後は全面的に従うしか無いのだが…。
私も、けして理不尽な事を言う気もなく、なんで同じビジネスに於いてこんなに考え方が違うのかと、しばらく考えた…
結局…最後は何が違うかと言うと…
大きく違うのは「守り」が違う事だ。
私は、会社を守る、その為に5年先.10年先を見据えての判断をしていく。しかし、
A社部長さんは、1.2年後の定年を守っている。
もう、この時点で基本的な考えが大きく違っている事だ。
そう思うと…へんに納得してしまう。
5年10年先の守りの為には、多少リスクもあり得るが、1,2年の先の守りには一切のリスク(危険)は犯さないという事だ。