喜怒哀楽こそ

喜怒哀楽の順番がいいのだ
人間だから「怒り」と「哀しみ」は「喜び」と「楽しみ」に挟まれている。
これが「怒・喜・楽・哀」では人は持たないのだ。
オセロと同じで、マイナスなモノがプラスに挟まれているから人間はプラス思考に生きていける。
そして 大袈裟に「喜び」と「楽しい」を表現するべきだ。
 喜怒哀楽が、スムーズに出せる人は、賢人だと思う。
それは、学問をする時など、新しい発見に、喜んだり、憤ったり、悲しんだり、面白がったりする習慣が身に付くからだ。
TVのクイズ問題でも、回答が出る前に答える。正解なら〝ヤッター〟と言わんばかりに快い快感が走る。
ものごとの本質を知ろうと何かを究めようとすればするほど、私たちは、自分の心に刺激を与えることになるから、なおさら心が働くのだ。
喜怒哀楽が、上手く出せない人は、何事にも関心がなく惰性で生きているのと一緒になってしまう。
感情(喜怒哀楽)こそが、“情熱をもたらす”のだ。
知らないことを、一つ聞いて覚えたら…
 「へ~ いいこと聞いた!」と、得した気分で、インプットする。
 その繰り返しが
  教養人になるのだ。

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