びっしり関東営業所の引越しに出向いて肉体労働に明け暮れていたので、キーボードが打てない。一時は顔を洗うタオルも絞れない程、肩や腕が痛かった。現場に居ると性格上やんちゃに無理をするので、最後は幹部社員に任せて帰ってきました。
でも、これで、やっと広々とした関東営業所を確保出来たので、一安心です。
これからさらなる飛躍の期待が持てそうだ。
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最近ニュースでも頻繁に耳にする体罰
大阪のバスケットボールの主将が体罰の苦痛で自殺に追い込まれたものや、全日本女子の園田隆二監督が選手への暴力や暴言が表面化した件など、ニュースを聞くたびに、私なりに思う事がある。
それは、バスケットボールチームであれ、柔道部のチームであれ、目的を持った ひとつの組織で有る事には間違いない、それは会社組織と一緒のことが考えられるからだ。
それなら会社組織を強くするために「体罰」が必要であるかだ。
園田監督の会見で、自身が現役時代は「(指導者に)たたかれたことがあるが、体罰だと受け取ったことがない。自らの「愛のムチ」が選手たちに暴力と受け取られたこと。今は、たたいてしまう行為はすべて暴力になると考えられる」と言っている。
またバスケの顧問は、ミスのないゲーム運びのために部員への厳しいリーダーシップを発揮するだろうと主将を数十発殴るということを続けていた。
悪いことをしたらそれは、厳しい体罰はあって当然と思うが、強くするためとか、ミスを無くすために体罰をするのは物理的な痛みではなく、精神的な苦痛であることは明白である。精神的な苦痛は逆効果で震え上がりパニックに陥り、よりミスを起こさせてしまう。
監督や顧問は、自分たちが暴力を奮っているという罪の意識はまるで無く、ドメスティックバイオレンスと一緒で弱いものに手を上げることが「愛」とか「教育」と思い込んで、更にエスカレートしていくのだ。(この者達は半分病気だ)
偉らそうな言い方だが、この様な人達には、チームの指導者になる資格はない。
指導者は、絶対にみんなが着いていくという人格と人徳が出来ていないとダメだ。
「名選手、名監督にあらず」という言葉がある、強い選手やメダリストだからと言って監督や指導者に着けること事態ナンセンスである。
昔、東京のタクシードライバーとの会話の中で、「サラリーマンの一生は上司決まる」とドライバーが呟いていた。このドライバーもサラリーマン時代にイヤな経験があったのであろう。
どんな組織にしても、指導者やトップで決まるものだ。
いつも言う、今はフィフテーフィフテー(50:50)雇う者も選ぶ権利があるなら、雇われる者も選ぶ権利があるのだから、
是非、良い指導者や先生(監督や上司)に巡り会って頂きたい。
ここで、私が絶対について行きたくない指導者を列記する。
①人格を馬鹿にしたり踏みにじるような言い方をする者。
②理念や理想が口だけで、頼りにならない者。
③仕事の成果を正当に評価してくれない者。
④仕事を任せてくれない、成果を横取りする者。
⑤ねちっこい言い方をする者。
⑥おちょうしもんでバカな上司
などなどですね…!
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