体罰に思う…NO2

肉体的な体罰が本人に理解させる全てだは無い。
 例えば、私なども過去に仕事で何度も失敗した時がある。その都度半端でなく怒られたものだ、しかし、その中で怒るどころか黙っている人が居た。こちらが完全にミスをしたことが分かっているので、どんな叱責や仕打ちも覚悟であったが、一行に黙っている。
 その暗澹たるプレッシャーの方が自分にはズシッと身に染みるものだ、 かえって、二度とその人には迷惑はかけれないと思った。
 上記の様に、ミス=叱責(体罰)よりも、本人が理解しているミスを自覚させる事の方が、効果的に身につくときがある。 また、これと逆の事も言えるはずだ、本人が理解出来ないことに叱責(体罰)を受けると、逆に不信感を抱き、積もり積もって、恨みや良くない結果となってしまうはずです。
 最終的に教える側(上)と教わる側(下)、そこには共通の目的をもった「信頼関係」が出来ないといけない。信頼関係があって、始めて厳しいスポ根なるものが通用するのだ。
 同じ監督としてだが、
日本ハムの 躍進の原動力となったのは、栗山監督の“対話”と“信頼”を重んじる姿勢だった 選手全員と徹底的に対話。一人一人の性格に応じたアドバイスを送ったり、すぐに結果が出なくても 粘り強く起用し続ける…。
ある選手が、インタビューで「何が何でも監督を胴上げしたい」と言い切っている。ここには選手と監督の信頼関係が築かれている証拠ではないか…!
 例えば、語学だけは、絶対に先生を選べと言われる。
気に入る先生からでないと、語学は身につかないらしい。確かに嫌いな先生からなんぼ言われても、本人の脳自体受け入れる体制で無いから身につかないのだという。
 ある心理学者の言葉だが
「人間の持つ性情のうちで最も強い物は、他人に認められる事を渇望する気持ちである」
つまり、こころの渇きを満たすことができれば、その心を手中に収められる。
 人は間違いなく、他人から評価されたいと強く望んでいる。
この事実を忘れてはいけない。深い思いやりから出る信頼関係が人を動かす秘訣である。…と、
  そして、
 我々は、自分の好きなものに興味を持つ、だから、人を動かすには、その人の好むものを問題にし、それを手に入れる方法を教えてやることだ。
 人を説得して何かをやらせたいなら「どうすれば、そうしたくなる気持ちを相手に起こさせる事ができるか」をまず自分に尋ねてみることだ。

 弊社でも、組織のリーダー役が変ったことで、その組織が一気に活気着いた事があった。けしてリーダー役がずば抜けて仕事を出来たわけでは無い、これなどは、末端のひとりひとりを生き生きと伸ばせる要素があった、末端が伸びることはその組織全体をレベルアップしてくれるものだ。
 2020年に東京オリンピックを目指すなら、各スポーツ団体も是非、顧問や監督を決める段階に置いて、強い指導者よりも人徳のある指導者にして頂きたい。
 ※

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です