ミヤンマー訪問(2)

私もミヤンマーには、
今回で5回目の訪問です。観光と時には仕事も兼ねて一人で訪問した事もありますが、社会主義国の中でも、素朴さと親しみを感ずる国民性では無いかと思っております。
 他国に行くと、外国人でも騙して この時とばかりと、言うお国柄(全てではありませんが)も有りますが、ここだけは 親日的で そう感じたことありません。
 それだけに、
“ぜひ社員全員で”…と勝手に思っていましたが !!!
  今回の幹部3人から 「社長~ここは無理ですね。」の合唱に 納得しました。
最初に訪問した時と かなりイメージが違ってきたことと、
 確かに少人数ではよいかもしれないが、団体行動に向かないし、そのようなインフラが設備されていないのが事実です。
(現に、車を止めてもらい、○画君が道路で小用を足していたし、
 部長はコオロギのフライを愛食していた。)

  住民達は、なんで どぶ川の様な水に浸かる所に住んでいるのだろうと思うが、道路が高く作られており 下水の設備がなく、道路沿いの住民は、みんな高床(水上生活)の粗末な家になるのだろう。
 更に、ビックリするのが、そこに豚を飼っているのだ。
 下水というインフラ設備が無く、
これなどは永い歴史をみても“近代国家は水を操る灌漑工事にあり”と言うことが解る気がしました。
 どちらにしろ、我々の当たり前的な常識は殆ど有りません。



(この写真はこの地域では、「中の上」と言ったところ1)

     ★
 私などは、本当に幼年期の時、今では考えられない 記憶がよみがえる。
  そう~昔は こうだった!
 基本的に、その国で生活をしている人々に…
「こんな生活をしていて、、可哀想」と言う判断は間違いで、
 逆に、この者達の 不服の無い「しあわせ感」の深さと言ったら、我々以上に
しあわせを感じているのかもしれないですね。
      ★
 話は変わりますが…
小説家の曽根綾子さんが書いている。「ボランティアが面白くてたまらない時はやめた方がいい、一方的な善意の押しうりでその効果の最大のものは自己満足なのだ!」と…
 これは、私も同感です。
ボランティアや社会貢献なる偽善行為の多いこと!
 まさに「人の為と書いて 偽り(いつわり)と読む」だ。
 そして裸足で歩いているアフリカの原住民に、可哀想だからといって、靴をプレゼントしても、我々が観光地のTシャツを貰うのと一緒で、殆どつかわない。
 「自己満足の押しつけ」
      ★
 (1)で書いていましたが、
一つは、“チャンス”を与えてあげたい事と、自己満足の押しつけだけは、避けるべきで
最後は、大きな繋がりを、作っていきたいと思っています。
(何をどうするという 具体的な内容は、まだ控えさせて頂きます。)

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